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世界から祝福されている人

人類平等とか、そういうのって無いと思うんですけど、余りにも世界から愛されすぎている人っているよなあと思うんですよ。

美形の人ってなんで美形なんでしょうね。
親の遺産っていうのが、一番シンプルな答えのように思います。
親も含め、先祖代々が努力を重ね、美形同士でくっついた遺伝子の結果が今に繋がっているのでしょう。
それ自体何も不思議じゃないと思います。

顔や体格とか才能以外にも、親からはお金を受け継ぎますよね。
至って自然だし、当然の権利です。

なんというか、不条理なことって色々あると思います。
顔が悪いとか背が低いとか頭が悪いとか運動が出来ないとか。
はたまた、上司のせいなのに怒られるとか、何もしてないのに舌打ちされるとか。

どうやって乗り越えて行くのが良い方法なんでしょうか。
今になってしまえば、嫌なことがあったら酒飲んで寝て終了と、それなりに気分をリフレッシュ……というか記憶を破棄するような方法をマスターしていますが、お酒の飲めなかった過去のことを考えると、よく今まで生きてこられたなぁと感心せざるを得ません。

関係の無い話ですが、人間が一番荒んでいる時期って、個人的には中学生の頃、所謂思春期と呼ばれる頃のような気がします。


話が逸れました。

世界から祝福されている人に関してでした。

世界から祝福されている自覚が有るのか無いのか、そんなことは知りません。こちらの決め付けに近いですから。
祝福されているって何でしょうね。何を言っているのか少し理解に苦しみます。

人ってそれなりにコンプレックスみたいなものを抱えていると思うんです。
そこが、それこそが、美的に昇華され得る人間の価値のように私は思うんですが、そうは言いましても、当事者にとってはそんなことは気に留める暇はありません。何といってもコンプレックスなわけですから。
余裕が無いわけです。自分のポインタを冷静に見つめる余裕が。
しかしだからこそ魅力が生まれ、価値のあるものになるのではないかと思います。

余裕の中には華がないです。
高慢さや、怠惰さといった要素が目立ちますし、人の苦しみや葛藤から来る、頭脳的な美も持ち合わせることはないです。
焦りや不安といった、マイナスな状態こそが、人を人たらしめる美しさを生成する条件のように思われるのです。

世界から祝福されている人は、常に余裕の中にあります。
自分に圧倒的な価値があると、自分自身が責任を負っています。
世界はその人の存在を保証しますし、あらゆる敵を排除してくれます。

そんな祝福に価値はありません。
価値というのは、負から生成され、また熟成されていくものです。
正の中でいくら正を積み重ねようとしても、それは常識的な範囲に留まる価値です。
その人にとって、そしてその他の人にとって、あらゆる存在を超越した価値は、負の側面からしか生まれないと、私は思います。

祝福の中に価値はないと、私は断言します。