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パイドンを読んだ

倫理学からの相互作用か、急にプラトンの著作を読みたくなったためパイドンを手にとってみた。

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)

哲学を専攻しているわけでもないので、所々に出現するギリシア的な用語についていくのは中々大変だけど、記されている内容はかなり興味深かった。

パイドンソクラテスの死刑執行直前に行われた対話を描いたものであることは有名だと思う。

そのような状況ということもあって、対話の主題は"死"に関してのものだ。


日本人の場合、死後の認識はどのようなものだろうか。

クリスチャンだったりムスリムだったり、あるいはブッディストだったりと、自身の中で信仰を抱いている人々は各々、その信仰に従った死後の世界を想像するのではないかと思う。

少なくとも私は、死後の自分に関してそこまで深く考えたことはなかったし、どうこうなるなどという想像も特になかった。
強いていうならば、死=終了とでも言うべき感覚だろうか。
"無"に帰すというのがイメージ的には一番近いかもしれない。


はてさて古代の賢者ソクラテスもといプラトンの主張する死後というものは、一般的に言われるような死生観だと輪廻転生に近いように思われる。

厳密には違うらしいのだけど、どちらの思想に対してもそこまで詳しくないのでよく分からない。

相互の思想的差異に関してはここではあまり重要ではないので置いておくとして、何が自分にとって新鮮だったかというと、ソクラテスが他の著書と同じように対話という手段を用いて、弟子や友人たちに"死"というものを説いていくところである。

前述した通り死に関して大した見解も持っていない、というか死という事象に対してあまり親近感のない自分にとっては、死後を解き明かすことで死自体への恐れや不安を取り除こうという試みが、思考の枠外に位置する試行であるということに気付いた。


最近自然科学と宗教との関係についても少し書籍を読んだりということをしていたのだが、一般的に信じられている進化論へのキリスト教的立場からの批判を目にして、中々感心したことを想起させられる。

それ以来自分が当然だと思っていることは、案外それほど普遍的ではなかったりということが往々にしてあることを認識することが多くなった。
自分の中の常識などそれほど価値を持たないという発見は大きなことのように思われる。
無知の知に若干通ずるものがあるかもしれない。


ともかく、死を考察する全編を通して、様々な点で認識を改めさせてくれたパイドンには感謝したいと思う。
イデア論とか想起説とか、重要な概念が出現する著書であるが、その辺りは専門家ではないので特に述べずに終わろうと思う。

プラトンの著作を読むと割と思うのだが、ちょい役で出てくる人物も良い味を出しているよね。
パイドンの場合、毒薬を飲むよう宣告しにくる人物が非常に魅力的だ。
書物としての面白味を欠いていないのが、彼の著作の偉大な点だと個人的には思う。


いつか自分も死を近くに感じて、そのことに恐怖する日が来るのだろうと思う。
そんな日に再び相見えたい著作として心に留めておきたい。