黒い家と青の炎を読んだ

久しぶりに小説を読了し、余韻に浸っている。
無性に気分を述べたくなったので殴り書き。

そもそものきっかけは、ゴールデンウィーク中にKindleで開催されていた角川フェアであった。 50%引き+20%のポイント付与ということで、何か面白い本は無いだろうかと探していた。

齋藤孝著の大人のための読書の全技術をはじめとして、反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」ペンタゴン式 ハードワークでも折れない心のつくり方といった、興味の惹かれる書籍をいくつか購入した。

そんな折、セール一覧の中に、貴志祐介の著作がかなりの数含まれていることに気付いた。
貴志祐介といえば、近年(というほど近年ではないが)アニメ化した新世界よりの著者という印象が強かった。 それと同時に、人伝に聞いたクリムゾンの迷宮の印象があり、一度読んでみたいと思っていた作家だった。

ようするに、Kindleセールで貴志祐介の作品が売られているというのは、私にとって幸運であった。

どのタイトルを購入するかで少し悩んだものの、結局黒い家と青の炎を選択した。 特筆する理由は無かったが、これらの本を読めば、貴志祐介の作品を感じられそうだと考えたからだ。

結果からいうと、この選択は成功だったように思う。まあ、どの作品を選んでも成功だった可能性は極めて高いように思われるが。

はじめに、黒い家を読んだ。
読書感想文などというものに熱心に取り組んだことがない経験上、的確な感想を述べることは難しい。 ただ、一言で表すなら、面白い、それに尽きる。 自分のイメージの中で暴れまわる登場人物の姿に、自分自身でハラハラするという現象に、我ながら胸躍った。

作中で恵が述べる、

問題は、あの人たちが共通して持っている病的なペシミズムなの。人生や世界に対して抱いている、底知れぬ絶望よ。彼らは、自分たちの見るものすべてに、その暗い絶望を投影するの。人間の善意や向上心が世の中を良くするなんていう可能性は、決して認めようとしないの。(中略)社会に大きな害毒を流しているのは、わかりやすい人格障害を持った人よりも、むしろ、そうした一見普通の人間なんだと思うわ

という箇所が特に印象に残った。
なんというか、ペシミズムという単語が頭に残る終わり方であった。

次に、青の炎を読んだ。
黒い家とは打って変わって、高校生が主人公の、少し甘酸っぱさを覚える作品である。
途中、思わず読み進めることが困難になる程に、主人公秀一の視点に同調してしまった。

西欧が『罪の文化』で日本が『恥の文化』を持っているとすれば、日本では、露見しない犯罪は、犯罪ではないことになるではないか。つまり、日本人は、民族的に、世界で最も完全犯罪に向いているのかもしれない。

という秀一の考えは、一見すると説得力がある。
しかし最終的には、単なる事実という重責に押しつぶされることとなる。
秀一がパラレルワールドの可能性を考えている時、私もまたその可能性を強く願ってしまった。 他人事とは思えない、切迫した感情の揺れ動きを感じた作品であった。
紀子かわいい。

個人的に好きな文章は以下。

良い曾根隆司とは、死んだ曾根隆司だけだが、今週のように、ほとんど意識を失った状態の曾根隆司も、ましな部類だとは言えた。

秀一が想像した未来。
回避するために選んだ道。
最期まで、ある種秀一らしさが一貫していた幕引きであったように思う。

どちらの作品にも共通して夢やロードバイクが頻繁に出てくる点は、連続で読んだこともあってか、印象深かった。


長々とあまり内容のないことを書き連ねてしまったが、難しいことは抜きにして、この週末を愉快なものにしてくれた二つの作品とその著者に感謝の意を表したい。
情景の想像がこんなに胸躍る行為になるとは。
映像作品では味わえない充足感に浸りながら、今夜は休むとする。